さよならのつづきのあらすじ考察と感想!記憶転移は実在する?

ドラマ

この記事はネタバレを含みますのでご注意ください

こんにちは。Makoです。
今日は11月15日公開予定、
Netflix独占配信ドラマ
さよならのつづきからのご案内です。

この記事は放映開始後にあらすじ感想を追加してアップデートされます

ティザー映像解禁され、
本記事は予告で案内された
断片シーンごとにあらすじを追い、
感想を述べさせていただいています

この作品で描かれる世界、
そのものずばりかどうかは
わかりません。

でも、それに共感せざるを得ない
体験をされている方は、
いらっしゃるのではないかと思わせる
ネット記事は多く見られます。

でも、今の世界では、
おこっていることの説明を行うことは、
どうやら難しいようです。

シーンごとに、見る方の気持ち、
解釈、いろんなことが
異なっているのだと思います。

起こっていることの理由を
説明することができないので、
それはやむを得ないコトじゃないかと
おもいます。

でも、それぞれの想いを
受け入れてあげることが、
大切なんではないかと思うのです。

もしかすると、
そこで生まれた共感が、
このような状況に実際に置かれた方の、
気持ちを和らげることができるかもしれない。

今日ここに記述する内容は、
完全に私の個人的な経験に元ずく、
私見であり感想に過ぎません。

医療の専門知識もありません。
ただ、人として優しく寄り添う、
そんな風であるためには、
どんなふうに感じ、考えたらいいのか、
日々追いかけるなかで、
このドラマの感想をここに記すものです。

この記事でわかること

番組放映前のティザー映像各シーンからのあらすじ予測と感想

さよならのつづきのシーン”バスの中での愛の告白”

北海道の雪の中を走るバス。
そこにさえ子(有村架純)と
雄介(生田斗真)が並び座っています。

さえ子が雄介の耳元に
ささやきかけます。
「私と結婚したいんだ..
返事は..YES!!」

「ほんと!?!!」

さえ子が受け入れたこと、
それが意外だったとまでは
いかないのでしょうけど、
えらく驚く雄介

付き合ってまだ日が浅い?

プロポーズの言葉を必要としないくらい、
関係が出来上がってのプロポーズ。
そういうのありますよね。
私自身そうでした。

でも、雄介はそうではなかったのかも。
それはもう、天にも昇りたくなるほど、
嬉しいコトでしょう。
ダメもとで言ってみたらいけたくらいの表情をしています。

でも、その後の展開でもわかる熱愛ぶりからすると、
それはないなと思うのです。
それでもあれだけの喜びようですから、
私などでは想像もつかないほどの熱愛だったのですね。

さよならのつづきのシーン”再びバスのなか、あえてよかった..さえ子と”

雪崩に巻き込まれる
一瞬前のシーン
このタイミングで、
お互いの愛を確かめ合う言葉。
雄介がさえ子にささやく
「あえてよかった..さえ子に」
でこのシーンは終わります。

シーンとともに、
雄介の命の終わりも迎えることに
なるのですが、
脚本とはいえ、終わりの時に、
このシーンを迎えるというのは、
何かを予感していたようにも思えるのです。

何となくこの先起こることを感じるとか
たまに経験することありませんか?
具体的に何が起こるとわかるわけでは
ありません。

ただ何となく、そんな気がする

一説によると、
大事な局面というのは、
筋書きとして、あらかじめ決めて生まれてくる
そんな話も聞いたことがあります。

大事な局面って何かなとか考えるのですが、
決して、宝くじが当たったとか、
事故に巻き込まれるとか、
そういうことではないと思うのです。

もっと言うなら、例えば、
子供をさずかるとか、さずからないとか。
そんな神秘的と思える出来事ですら、
それだけでは、あらかじめ決められた
大事な局面とは違うような気がするのです。

では何なの?
人と人との関わりで、
色んな感情が沸き起こると思うんですけど、
それらの全ての出来事と、そこで湧き上がる感情が、
大事な局面にいたるきっかけとなっていると思うのです。

そして、それらの出来事に、
感謝の気持ちで臨むことができた時、
その時初めて、その出来事が大事な局面と
なるのではないかと思うのです。

さよならのつづきのシーン”移植をしていただいたおかけで..”

成瀬は、雄介の心臓を受け継ぎ、
体は元気になっていくようです。

成瀬にとっては、
生まれつき弱いからだ、
心臓が弱く、おそらく、
そのことを嘆き続けた人生だったのではないかと
想像するのです。

きっかけは、それが運命とするなら
残酷とも思える事故
それでも、そのことが、
雄介の気持ちを嘆きから感謝へ
置き換えることにつながりました。

雄介は、姿は見えないけども、
心臓を提供してくれた誰かに、
心底の感謝の気持ちをさしむけることでしょう。

では、雄介を失ったさえ子の気持ちはどうなるのか。
生まれてきた以上、
さえ子も感謝の気持ちにならなければ、
生まれてきた目的を達することができません

わたしは、その傷ついたさえ子が、
感謝の気持ちを抱くようになれる過程が、
このドラマのストーリーになるのではないかと
予想しています。
いや、そんなストーリーだったらいいなと
願っております。

さよならのつづきのシーン”手紙”

成瀬は、手紙をしたためます。
「この手紙をお読みになる方へ。
ルールで名乗ることはできないことに
なっています。

今の私の気持ちをなんて言葉にしたら
いいのかわかりません。
私にできることは、
いただいた命に感謝し、
生きることだけです。

そしてどうかどうか、
この手紙を読んでくださっているあなたに、
幸せが訪れることを祈ります

なぜだか私の心が、
そればかりを考えてしまいます。

できることがあるのなら、
あなたを助けに行きたいとすら思います。

心臓をいただいたレシピエントより」

成瀬が医師か誰かを介して、
心臓のドナーの関係者にあてた
手紙です。

「なぜだか私の心が、
あなたに幸せが訪れること
そればかりを考えてしまいます。」

雄介の心臓に宿っていた心が、
成瀬にそう思わせてしまう..
と考えるのが普通なのでしょうか。

私は心臓に宿っていると思っていないので、
少し違った見方をしています。

ある本で、生まれてきた目的と、
心の在り方のような本を読んだことがあります。
生まれてきた目的というのは、
先に書いたように出来事を
感謝の気持ちに振り替えていくということなのですが、
その時心はどうなっているの?

心は体の外に存在しているということでしたが、
感情も心の方に属していると書かれていました。

心というのは、感謝の気持ちを向けようとしたとき、
実際にその相手のところまで行き、
繋がりあうといわれていました。

そして、その時、
そこに喜びが生まれるのだと。

つまり、その本の考えによると、
成瀬の中の雄介の心臓に宿った何かが、
成瀬に雄介の想いを感じさせているのではなく、
成瀬が雄介に真の感謝を向けたことで、
成瀬の心と雄介の心が繋がりあった

感謝の気持ちが、二人の心をつないだ瞬間を
描写したシーンではないかと思うのです。
そこに肉体がどうこうというのは、
関係していなかった。
ただ、成瀬は深く雄介に感謝をしていた。
そしてつながった心は、当然に、
さえ子への想いも共有することになった

成瀬は、今や雄介の心と繋がり、
雄介の思っていたままの気持ちを感じ、
「わたしのこころが、そう思ってしまうのです」
と表現したのかなと感じました。

さよならのつづきのシーン”私の愛した人の心臓は元気で動いてますか?”

さえ子が手紙を返します。
「返信してもよいそうなので、
書かせていただきます。

お手紙ありがとうございました。
とてもうれしいお言葉でした。
あなたからいただいた手紙を
一日何度も読みます。

そのたびに励まされます。
力が生まれます。

ありがとうございます。
私の宝物です。
お体の方はいかがでしょうか?
私の愛した人の心臓は元気で動いていますか?

あまりこういうことは
書いてはいけないらしいのですが、
ちょっとやんちゃな心臓なんじゃないかと
思ったりします。

どうかお元気でいていただけたらと、
心から願います」

成瀬の手紙に、
さえ子が少し感謝の気持ちを
持つことができました。

これから、さえ子が、
その気持ちを大きな感謝に
切り替えていくことができれば、
私が本で読んだこの世に生まれてきた目的を
達成することになりますね。

さようならのつづきのシーン”雄介の心臓が成瀬さんの体の中に”

ここはドラマのストーリーなので、
全くわからないのですが、
雄介の心は、いまでは、成瀬とさえ子、
両者と繋がっているはずですから、
偶然と思えるニアミスが起こっていても、
不思議ではないよねと感じます。

そして、どういう理由でかはわかりませんが、
さえ子と雄介は、お互いに出合ってしまいます。
すると、もちろん、目に見える存在ですから、
そこに雄介の心臓が..となることは、
しょうがないですよね。

さよならのつづきのシーン”聞いてもいいですか..心臓の音”

その存在を知ってしまうと、
どうしても惹かれてしまうのでしょう。

余談ですけども、
このドラマではもちろん「愛」が
テーマとなって描かれているようです。

「愛」ってなんなの?
と問われると、文字にすることの限界もあるし、
映像を使っても、解釈も色々ですし、
なかなか全員が同じ認識になることは
難しいのかもしれませんね。

私が過去に読んだ本で、
一番シンプルに答えてくれていたのは、
こんな内容でした。

愛には犠牲が伴うように思われがち。
でも、それだと愛はとてもおどろおどろしく
思えてしまいます。
愛ってそんなもんじゃないよと本は語ります。

例えば、誰かと一緒にいる時間を
大切に過ごそうと思うなら、
愛を持った過ごし方をしなさいとなるんですけど、
愛を持った過ごし方ってどうするんですかっていうと、
この人が幸せに笑ってくれたらうれしい..と
心の中で思うだけ。
それが愛だよ..とその本は語っていました。

目の前には、どう対処したらいいのやら..
そんな出来事ばかり突き付けられる
世の中なんですけど、
できることといえば、目の前に現れた人が
幸せになってくれるように..そう心の中で思うだけ。
これが生まれてきた目的をシンプルに語っていた本に
書かれていたことです。

さよならのつづきのシーン”生まれてきてくれてありがとう” 記憶転移は存在するのか?

成瀬が図書館のようなところで、
さえ子に語っているように見える言葉
「生まれてきてくれて
ありがとう」

ストーリーによっては、
成瀬がさえ子に言う言葉としても
考えられますが、
ドラマの本質からすると、
雄介が成瀬の体を介してさえ子に
語っているシーンとみるのが自然なような気がします。

すでに体を失っている雄介が、
なぜ生まれてきてくれてありがとうというのか。
生まれてきてくれたおかげで、なにがあったから、
ありがとうなのか?

生まれてきてくれて、ありがとうは
よく聞く言葉なのですけど、
何があったからありがとうなのか、
言葉で見かけることはあまり多くないと感じます。

先に出てきた、生まれてきた目的に
照らして考えるなら、
きっとこんな感じになるんじゃないでしょうか?
生まれてきてくれて、私が感謝するきっかけを
あたえてくれてありがとう

目の前に現れる人、誰に対しても、
感謝すべき対象として思えるように
なることが目標なのですが、
特別な誰かの存在というのは、
そこに至るまでの練習ステップと
考えたらよいでしょうか。

一朝一夕に、
そんなところまで行けませんから、
特別な人への感謝の気持ちから
始めていくということなんだと思います。

記憶転移なるものが、
存在するとかしないとか、
インターネットで調べても、
現在のことろ、肯定派も否定派もいて、
結論に至っていないようです。

医学的な知識を何も持ち合わせない
わたしの日常の出来事からの推論はこうです。

サザエさんの波平とフネさんの、
言わずとも伝わっている夫婦関係
長年連れ添うと、そんな風になるのか…
以前にはそんな風に思っていました

でも、夫婦生活を何年もやっていると、
当たり前のように、心と心は
繋がってるなという出来事は
日常的に起こっています。

わかりやすいところで言えば、
今あれ食べたいと思っていた。
あれをやろうと思っていた。

たまたまそのタイミングであるという
理屈はいくらでも付けられると思うのですが
わたしは、実際につながっている部分が
存在しているのだなと考えるのが自然なように感じています。

心と心はつながっている。
心ひとつにして!とか、
心と心が通い合う!とか、
人は心が繋がりあうことを示す言葉を
いくつも持っているのに、
心が繋がるということを、その通りに解釈することを
否定しようとしますよね。
なんだか、それ、不自然な感じがします。

心と心をつなげて!って
昔から言うんですから、
それはつながるものだと思う方が、
自然なような気がするのです。

心の中に、記憶があっても不思議では
ないような気がするんです。

私は高所恐怖症なんですけど、
私はこれは、過去に高いところで
何かが起こった経験があり、
それを心のどこかに記憶していて
怖いんだなと感じているような気がしています。

今回の生では、高いところは怖いですが、
特に危険な目にあったことはなく、
きっと今回ではない生での記憶が、
心のどこかにあるのだなと
そんな風に思ったりしています。

そんななので、
心は記憶をもてる、
そんなものだと思っているのです。

すると、一つに通じ合った心、
成瀬が、自分に心臓をくれた誰かに、
心の底からの感謝を向けた時、
その心はつながった。
同時に、記憶も共有されるようになった。

私としては、
とても自然な感じがします。

夫婦も長くいれば、
深く感謝することもあります。
すると、心が通い合い、
価値観が似てきたり、いろんな偶然の一致が
発見されだしたりします。

ひとつ興味深い話があります。
私と妻の新婚旅行に行く時の話です。

ニュージーランドに行ったのですが、
私はもちろん高所恐怖症。
妻には当時からそのことは伝えておりました。

一方の妻は、高いところは全く怖くなく、
もちろん飛行機の高所も平気です。

何年か過ごし、心も通い合った(笑)であろう
ある時、旅行の話をしていたのですが、
妻が、なぜだか飛行機は怖い..
そんな風に言い出したのです。

なるほど。
私の心と通い合ったがために、
私の高所恐怖症の何かの記憶が、
妻にも伝わったのだなと。

探してみると、皆さんも、
同じような出来事、
結構あるのではないでしょうか

こんな経験から、私的には、
記憶転移という言葉は、
少し違和感があり、
記憶共有..こんな言葉の方がしっくりきます。

ちなみに心臓が記憶する..というところから
調べると、Cardiac Memoryという言葉がでてくるのですが、
医学の知識のある方の記述によると、
この言葉を記憶転移と混同して使われることがあるけども、
Cardiac Memoryというのは、
医学用語としては、全く別の事柄を指していると
言われていたりします。

さよならのつづきのあらすじ考察と感想!記憶転移は実在する?のまとめ

  • さよならのつづきのシーン”バスの中での愛の告白”は、雄介の人生最良の瞬間を表現していました。
  • さよならのつづきのシーン”再びバスのなか、あえてよかった..さえ子と”は雄介が無意識のうちに旅立ちを知っていて、最後に残した言葉なのかもしれません。
  • さよならのつづきのシーン”移植をしていただいたおかけで..”と成瀬はドナーに感謝をし、今は見えない雄介、それにさえ子と心が通い合う始まりだったのではないかと思いますぅ
  • さよならのつづきのシーン”手紙”で、お互いに感謝の気持ちを通わせ、心通じる関係へと進展していきます。
  • さよならのつづきのシーン”雄介の心臓が成瀬さんの体の中に”、そのことを意識する度、感謝の気持ちから離れ、さみしい思いが募り、穏やかさが遠のいてしまうのかもしれません。
  • さよならのつづきのシーン”聞いてもいいですか..心臓の音”で、さえ子のこころは、寂しさを募らせることになってしまったのではないかと案じます。
  • さよならのつづきのシーン”生まれてきてくれてありがとう” は雄介の言葉だと思うのです。記憶転移は存在するのかどうかは不明です。ただ、実生活においても、記憶があいまいにでも共有されているのではないかと思うことはしばしば経験します。

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。

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