こんにちはMakoです。今日の「中居正広の金スマ」のテーマは、多くの人にとって重く響く内容ではないでしょうか?「ついこの前まで仲良くしてたのに、どうして?」という思いや経験をいただいたことがある方も多いかもしれません。
私はまだせいやさんの本を読んでいません。ですから、「一世一代のコント」とよばれるものがどのように人生の大逆転を生んだのかはしりません。
ただ、これまでにいろいろな書物から学んだ経験を踏まえると、「一世一代のコント」の背後には、大逆転につながる何か特別なできごとか思いがあったのではないかと考えています。
少々重いテーマですが、今日は「いじめ」がなぜおこるのか、「いじめから抜け出す」ために誰にでもできることについて、自分の経験や過去に読んだ書物から得た印象深い内容を共有したいと思います。
いじめはなぜ起こるのか
私自身、大きないじめを受けたことは無いと思っています。ただ、大人になって振り返ると、「あれはいじめだったのかもしれない」という思いや経験は何度もありました。
たとえば、小学5年生くらいまでは、学校で泣かずに過ごせた日はほとんどなかった記憶があります。当時は、どうして私はこんなにないてしまうんだろう」と悩んでいました。
今振り返ると、体に傷をおわない程度の「いじわる」を日常的に受けていたようです。一方で、泣きやすい性格だったことも確かです。
私の両親は関西の出身でした。私が生まれてすぐ、山陰に引っ越しました。そのため、私は中途はんぱに関西弁のアクセントで、山陰の方言を話していたようです。
そんな「少しだけ人と違う」私を、一部の人が「いじって」きました。当時の私は感受性が高く、少しいじられただけで泣いてしまう日々を過ごしていました。
泣き虫なくせに、私は人一倍負けず嫌いでした。人と喧嘩はできないのですが、「負けたくない」という思いが強く、何かに一生懸命になってしまう性格でした。
面と向かっては怖くて行動に出せないのですが、かけっこや競争では負けたくない気持ちがずっとありました。
原因はそこにあったのか
いじめの原因については、多くの人が色々な見解をもっていますが、どれが正解かはわかりません。ただ、私が読んだ書物の中で「なるほど」と思った意見があります。それは、「自分は他人とは違う」という意識がいじめを呼び込む、という考えです。
負けず嫌いだった私のその時の心の状況を考えると、こうなります。
負けない。。というのは、「誰に」ということで相手が存在します。「相手」というのは、自分とは異なる存在です。この「相手」というのを心に思い描くと、相手というのは「自分とは分離した存在」と見なければなりません。
この分離という状態をより明確にしてくれるのが「敵対」した状態です。人は知らず知らず、「相手」というのを自分と異なるものとしてみた時に、その関係をより明確にするために「敵対」するというのです。
これが、「分離」というものを思い描いた自分の望みを強化することになります。つまり、自分は無意識のうちに分離を望んでいたと、書物にはかかれているのです。
今、当時の自分と今の自分を比べてみると、明らかに違う点があります。それは、「誰かと競いたい」という気持ちがかなり少なくなってきています。
どちらかというと、周りにいる人にはいい気持になってほしいし、自分が何かすることで、うれしそうにしてくれたら自分もうれしい。
おなじ「うれしい」を同時に感じるというのは「敵対」とは反対の「融和」などの言葉で表すことができるでしょうか。融和、つまり溶け合うという感じです。
「相手」をより遠ざける思いではなく、溶け合う、つまり喜ばせて喜ぶという関係を望むようになってきているのです。
すると、今、その結果として、まわりに敵対する「相手」というのが減ってきているように思うのです。
せいやさんが「一世一代のコント」を生み出す前のマインドは?
この先も、私が様々な書物から得た知識に元づく私見が続きます。
せいやさんの「一世一代のコント」はどう生み出されたのでしょうか?
「コント」というのは「人を笑わせる」ために創造されるんですよね。その思いが強ければ強いほど、喜ぶ人が多い。つまり「うける」んだと思うのです。
たぶん、面白くないなと思う漫才やコントは、「誰かを喜ばせたい」という思いが途中で薄れてしまったか、単にテクニックのようなものにはしったか、そういうことじゃないかと思うのです。
きっと、お笑い怪獣と呼ばれるような方は、誰かを「喜ばせたい」という思いが、尋常ではないほど強いと思うのです。その思いが起こったときに、もう結果も出来上がっていたとある書物は教えます。
つまり、誰かを喜ばせたい思いでネタをくっているときに、もうみんなが爆笑という状況は約束されていた。
せいやさんは、いじめの状況にありながら、コントを披露することを思い立ったんですよね。そのとき、みんなを笑わせるという思いが必ずあったと思うんです。そしてその思いが、「いじめの状況にありながら」も思い続けることができたというところに非凡さがあったのではないかと思うのです。
でも、これは、あるほんによると、「だれにでもできることだよ」と教えてきます。なぜでしょうか?
それは、その怖い対象を目の前に見ながらやるわけではないということです。せいやさんは、いじめてくる人たちがいないところで、そんな人たちも含め「笑っている」ところをイメージしていたのだと思うのです。
そんないじめてくる奴らのことなど、憎くて、笑っているところなど想像したくもない、そんな風になるのが普通です。でも、せいやさんはそれをやった。違いは何ですかっていうと、せいやさんは「そうしよう」と決めただけのこと。
普通は「ゆるさない」とおもうはずなんです。でも、せいやさんは「ゆるした」「笑わせようと思った」。
せいやさん、きっと神にもすがりたくなるほどつらかったと思うんです。
なんで、高校生になったとたんにそんなことになってしまったんでしょうね。もしかすると、中学までは競う「相手」という意識はほとんどなかったのに、それが高校になったとたんに、「だれかと競う」意識が高まってしまったのかもしれませんね。
すぐに結論が得られるテーマではないだけに、ご自身の経験を明かしてくださる有名人の方の言葉をヒントに、自分には何ができるかじっくり考えてみたいですね。
今日は、そんなところが番組で語られるか、注目してみてみたいと思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
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