こんにちは!Makoです。
12月23日は明石家紅白からのご案内です。ブレイク真っただ中のこっちのけんとさん。普段目にするけんとさんは溢れる笑顔ばかりなだけに、さんまさんの言葉に涙するシーンには心打たれ、「でも、なぜ?」となられた方もいらっしゃったのではないでしょうか?
今日はそんなこっちのけんとさんが、これまでインタビューなどで語られた心境などから、あらためて皆さんと一緒に彼のブレイクを喜びたいとおもいます。
「あっちのけんと」と「こっちのけんと」
本当の自分とは何だろう。周りに合わせて、無理して自分を作り上げて。そんな経験をされたことはありますか?私個人的にはよくわかりません。ずっと周りに合わせて生きてきたような気もするし、そうでないような気もするし。
自分ではない自分を演じて生きるというのは、確かにしんどいかもしれませんね。実際、私も含めて、多くの人がしんどい人生を生きているかもしれません。
こっちのけんとさんは、そのあたりに気づきを得た方なのかもしれませんね。少なくとも、「あれは本来の自分ではない」という見極めができた、そんな瞬間を経験になられたのかなと思います。
もしかすると今、「こっちのけんと」と思っている自分も、いつか時間の経過とともに「あっちのけんと」になるのかもしれません。でも、そこでまた、本来の自分は「こっち」だったかと気づきが得られるのかもしれません。
そうやって一歩一歩、本当の自分に近づいていくということでしょうか。
明石家紅白では、さんまさんの「がんばったなあ」の声掛けに、思わず涙されるけんとさん。
さんまさんは、「あっち」でしくはくして、「こっち」にたどり着くことの大切さとか、大変さとかそういうのをわかっていらっしゃるかたなのでしょうか。
さんまさんと「こっち」のけんとさんの発言の中に共通する言葉を見つけました。こっちのけんとさんは、「だれかのため」に生きている方が楽というようなことを言われていました。
「自分が自分が」となっていない方が楽なんだということのようです。
さんまさんの中にも、同じような気持ちを感じますね。きっと、「自分が自分が」という気持ちがなくなった場所こそが、「こっちのけんと」さんなんだろうなと感じています。
「こっちのけんと」さんが明石家紅白で涙したのはなぜ?
「あっちのけんと」でいた時には、きっとつらい思いをされていたのだと思います。みんなそうですよね。誰かのためを思って動いているときは、比較的穏やかに、なんだかいろいろなことがスムーズに運びます。虚しさや、恐ろしさだ度か、そういった気持がどこかに行って消えてくれるのは、こういう時ですよね。
さんまさんは、高校生の時以来、腹を立てたことが無いというような話を聞いたことがあります。高校生にして既に、「自分が自分が」という状態とはお別れされていたということなのでしょう。
「自分が自分が」という状態のつらさや、そこから抜け出すことの大変さを知っておられるのかもしれませんね。さんまさんが言われる「がんばったな」という言葉には、そういったところにいつまでもいることの辛さや、そこから抜け出すことの大変さを知っている人の思いが込められているように感じるのです。
そんなさんまさんから「がんばったな」といわれる方も、そういったさんまさんの思いが伝わるのかもしれませんね。
テレビ越しに、自分が声をかけていただいているわけではありませんが、ただその声を聴いただけで、こちらも泣けてきてしまう。
こっちのけんとさんが思わず流された涙というのは、けんとさんにかぎらず、同じようにさんまさんの言葉を受け入れた人みんなの涙なんだと思います。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
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