※2024年9月14日に公開した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を追記、その他の部分も修正して2024年9月17日に再度公開しました。
こんにちは。Makoです。
能登にお住いの皆様、またそのご関係の方々におかれましては、2024年1月の震災では大変つらい思いをなされていることと、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く、皆様が以前の日常を取り戻すことができますように、こころよりお祈り申し上げます。
9月16日、鶴瓶の家族に乾杯は、石川県輪島市門前町は門前高校を訪ねると予告がございました。
これは9年前に番組で訪れていたということもあり、このタイミングでの再訪となったものと思います。
9年前に番組で訪れた場所を少し知らべてみました。
2015年3月放送の鶴瓶の家族に乾杯 輪島市門前町ロケ訪問場所
大本山總持寺祖院
曹洞宗大本山總持寺祖院さんのホームページを拝見する限り、損壊をうけられた建物等の写真が掲示されております。
現在は復旧を目指しておられる只中かと思います。(2024年9月14日現在のホームページ上においては、「境内のご案内:震災の影響により拝観休止」「座禅体験:震災の影響により休止」「精進料理:震災の影響により休止」の案内をあげられています。)
持寺珈琲
震災のあった1月、X等で発信される情報には、持寺珈琲さんも被害をうけられている模様が投稿されておりました。
その後の情報を見つけ出せず、何とか復興されていることを祈っております。
実は、こちら持寺珈琲さん、かなりメニューが豊富で、一見変わり種風もあり、とても興味を惹かれるお店なのです。
先の總持寺祖院さんの境内の中にあるお食事処のようです。
總持寺祖院をイメージしたブレンドコーヒー、..どんなブレンドだろう.. 「母ちゃんの味」といわれる門前そば、2007年震災以前は門前で愛されていた味を再現した門前カレー、ご当地バーガー等々、こんな話題性ありそうなメニューが、一か所のお店で楽しめる、そしてそこは観光地にもなるであろう境内の中。
何とかつづけてほしい..そんな思いが募ります。。
門前高校女子ソフトボール部
2015年鶴瓶さんが訪れた門前高校女子ソフトボール部、輪島市の広報から2020年に案内がだされておりました。
少子高齢化の影響で部員の確保も困難となり、同部は他の高校と合同チームで活動する予定とありました。
室谷先生
実は、同じ広報案内の中で、室谷妙子先生の指導者退任の一報もなされておりました。
50年にわたって、門前高校ソフトボール部を率いてこられていたそうです。
室谷妙子さん、門前町のご出身です。大学時代には日本代表として世界制覇に貢献、その後、定年まで門前高校に勤務され、退職後も同ソフトボール部の監督を務めていらっしゃいました。
当時(2015年)室谷先生は大勢の生徒さんとご自宅で同居。
番組で、生徒さんが住まう部屋も拝見したところ、「人間その気になればなんでもできる」と書かれた張り紙が目に飛び込みます。
まだ10代の女子高生に、人として強く生き抜く方法をしっかりお教えになられていたのでしょう。
ドキュメンタリー 私たちの時代
2007年能登半島を襲った震度6強の地震。
それは彼女たちの地元、門前町を直撃したのでした。
そんな悲しみの中で、町中に光を届けてくれたのが、石川県立門前高校の「女子ソフトボール部」の若者たちでした。
そんな少女たちの姿が2010年ドキュメンタリーとしてテレビ放映され、その後2011年映画化されました。
あの震災から17年。
あの時女子高生であった彼女たちが今復興を支える真っただ中の世代。
いま、当時の画像の予告編のみがYouTubeで確認できました。
2分足らずの短い動画ですが、当時の音声に耳傾けながら、そういった当時の音声が、何とか心の支えになればよいがと願うばかりです..
2024年9月 鶴瓶の家族に乾杯盛岡ロケ地情報
(2024年9月16日番組放映後アップデート)
8月29日に鶴瓶さん、常盤さんが現地輪島を訪ねられたのですが、今日、9月16日は午後7時30分、生放送なんです。
鶴瓶さんの緊張されているところというのは見たことが無いんです。
その昔、突然ガバチョなる番組をされていたころからそうなんですけども、緊張されてる雰囲気というのを感じたことが無い。
でも、今日の鶴瓶さん。
緊張..とは違うかも。でも、とても、気持ちが入った感じ。
今から、皆さんのお顔を前にするのに、いろんな思いがこみ上げるのでしょう。
きっと、心を整えるのが大変だったのではないかと思います。
体育館に入ります。
太鼓をたたく皆さん、輪島・和太鼓・虎之介の皆さんの歓迎です。能登復興イベントなどで演奏をなさっているそうです。
さて、オープニングです。場所は、石川県輪島市立河原田小学校体育館からの生放送。
番組お三方の後ろには大きなキリコと呼ばれる灯篭。
その真ん中には「まれ」の文字。2015年の連ドラ「まれ」で地元の方が作ってくださった灯篭だそうです。
常盤貴子さんの輪島への思い入れが深く、何度も訪れているとのこと、「そろそろ住所変更してもいいかな..」といわれるほど、輪島への想いが深そうです。
さすが鶴瓶さん。
番組が始まってしまえばそこはプロ。会場を和ませます。「息すってくださいね(笑)」。
今回の輪島訪問は、常盤さんのたっての希望。
「鶴瓶さんが来てくれたら大丈夫」って、そんな気がされるとのおもいだったそうですが、そんな思いがするのは常盤さんだけではないですよね。
なんか、だいじょうぶになっていきそうな、そんな雰囲気がただよいます。
門前の旅は以前訪ねたあそこから始まります。
ロケバスは、海岸線が隆起してしまい、「遠くなってしまった海」を左手に見ながら走ります。
常盤さんにとってもとてもショックな光景の一つだったようで、悲しそうに指さしています。
わかります。
そこに住んでいる人にとっては、耐えがたい突然の変化です。
わたしは鳥取県の出身ですが、高校生のころまで住んでいた地区が、まあ、当時の姿を思い出すこともできないほどに激変してしまったのを、10年後くらいに目にしたとき、何とも言えない気持ちになりました。
子供のころにはとても綺麗だった砂浜の海岸線がつづいていたのですけども、そういったところも公園整備ですっかり変わってしまって。
もちろん、災害で破壊されてしまったわけではないので、そういった意味での虚しさというのはないのですけども、以前の良い思い出の場所が姿を変えてしまうというのは、ほんとに寂しいものです。
門前町 總持寺
灯篭が崩れているのが目に入ります。
家屋も..境内のカフェも。
中を覗き込むと「自家焙煎」の看板が。
こちらのお店は、残念ですけども、あきらめなければならなかったようです。
總持寺さんは、生放送会場の小学校からは約15kmほど南西に向かった場所にあります。
鶴瓶さんも震災後、ようやくここにたどり着けたと。
總持寺では高島(はしご高)弘成さんが震災を振り返られます。実は、2007年3月25日震度6強を観測した日から14年、つまり2021年にようやく復興、落慶を迎えられたとのこと。
それがその3年後..
總持寺は輪島の支えであったのでしょう、總持寺の落慶をまって、輪島の完全復興とみなされていたとのこと。
それでも、1月落胆した気持ちを2月にはもう整えられ、「町の人と心と心の結束」を図らなければという思いのもとに、また歩みを始められたといいます。
能登半島地震で、門前町は最も大きな震度7に見舞われた場所で、商店街の2/3が被害を受けて、今現在もまだ営業再開できないお店というのもたくさんあるそうです。
安原さんの境内のカフェ
残念ながら、境内のカフェの再建は難しいとご判断になられたようです。
お店によっては能登で再建、また再建を目指されている方、また、近郊金沢等で新しくお仕事を開始されたりする方、それぞれのご事情の中で、とても大変だと思うのですが、道を探り、何とか前に進もうとされている状況です。
安原さんは、金沢の方にのどぐろ総本店というお店を出店になられ能登の食材にこだわりをもって頑張っていらっしゃるそうです。
鶴瓶さん、常盤貴子さんに伝えたいこと
鶴瓶さん、常盤さんに伝えたいことというのが事前に尋ねられ、寄せられたメッセージがボードに張り出されています。画面から読み取れたものだけになってしまいますが、以下のようなメッセージがありました
- 今を生きる
- 能登大好き
- 輪島に来たら夕焼け空を見に行ってね(全国の皆さん、ぜひ空を見に来て下さい)
- 能登の祭りはサイコー 町野大祭来てね!
- 常盤貴子さんいつも能登をきにかけてくださってありがとう!!うれしいです!!
- (消防士さんのお顔の横に)守る
- 頑張ろう輪島
- 2024年9月9日最近子供ができました まだ性別不明です(笑)
- 仲間を大切にする
- わじまの朝市やうまいもの(さかなの絵) たべてって
- 笑顔
- あそぶばしょほしい
- つながり
- 輪島に来てください
- 輪島ぬりを使ってほしい
- 町野町魅力がたくさん
- がんばってください
- うんどうかいのれんしゅう がんばります。まつたにそう
- 輪島のこどもたちに心穏やかにすごせる居場所と思いっきりあそべる遊び場を!
- ”MACHINO HOIKU EN”(ハート)
- おべんきょうがんばいたい。みんなといっぱいあそびたい
- 復興中の輪島をぜひ知ってください
- つるべさん町野小に来て~
- 古代米アート見に来てね
- 勇気
- 輪島へ来ていただきありがとうございます りょうま 6さい
- つるべさん わじまにきてくれて ありがとうございます(お日様に笑顔3つ)
- 9年前に鶴瓶さんに会いました!!誕生日同じです!
- 15年前に穴水にきてもらったあすなろ広場は災害ゴミの山です。穴水へもう1度来てくださいね 待ってます。
- 輪島の夕日 見に来てね
- 鶴瓶さん河原田小学校に来てくれてありがとう
(読み取れなかったメッセージの皆さん、ごめんなさい)
室谷先生に会いに門前高校へ
2015年の訪問の時以来、つるべさん、室谷先生との親交はつづいていらしたんですって。
すてきです。
2015年の映像で、鶴瓶さんを前に、テンション高いソフトボール部の皆さん。
総勢約20名くらい。
驚愕の全員監督の家に下宿。
そして、今回の門前高校訪問です。
ソフト部2年生4名、1年生1名が鶴瓶さん、常盤さんをお出迎え。きっと、人数のせいですね。
9年前の部員の皆さんより大人風のお出迎えです。
少ない人数で、しっかりやらなきゃという意識が高いんですね。
もう寮もないんですもんね。
先の總持寺さんから門前高校までは約200mほどですね。
そこから先生のご自宅まで移動することになりました。
去り際に校長先生、「10時から見てました」「ああ、突然ガバチョ」(笑)。
関西ローカルのご挨拶ですかね(笑)。
ようやく部員の皆さんにも笑顔。
緊張してたかな。常盤さんの「ソフトがんばって!」に「ありがとうございます」って、爽やかに礼儀正しい方々でした。
中島政子さんと立ち話..
被災されたお宅、荷物の取り出しもできない状況、でもボランティアの方々が荷物を取り出してくれて..と語られます。
ボランティアの方々も、本当に大変な思いをされての援助だったとと思います。
建物は傾いていらしたそうです。そこに踏み込んで荷物の取り出しは、ほんとに命がけの作業だったことでしょう。
そんなボランティアの方々、また飼い犬にも助けられた、そんな出来事に感謝の言葉を向けられる中島さんでした。
そして室谷先生のお宅へ
以前の教え子さんが、震災後、避難場所の提供を申し出られたり、人と人との繋がりを大切にしてこられた室谷先生の生きざまを感じるようなお話し。
プライベートでも繋がってる鶴瓶さんと先生なので、あえて、今回の滞在時間は短かったのかな。
そうですよね。今回は、鶴瓶さんも、出来る限り多くの方々にお会いしたいという思いもお持ちだったことでしょう。
常盤貴子さん 「まれ」のロケ地 皆月(地区)へ向かう 七浦 早川商店さん
現在は、現地、地元の皆さんの要望もあってお店を再開されていますが、もともとダメージもあり3月までは金沢の方に避難していらしたそうです。
そこからのお店再開というのも本当にご苦労があったことと思います。
地区では唯一の商店なんだそうです。今ではそこにお住まいの方も減ってしまったそうなのですが、少なくなったからこそそこの皆さんにとっては、ほんとにありがたいお店に違いありません。
鶴瓶さん、市街地へ向かう お米屋さんの蔵口屋
まだまだショッキングな情景がいたるところに見られます。
当時のこと、今のことを伝えていかねばと語られます。
私自身は西宮で阪神淡路の震災を経験しましたけども、震災直後は、ほんとにこの先どうなるんだろうと、一に地上が戻るんだろうと..考えても何もわからない状況で時が過ぎていきました。
今振り返っても、いつ依然と変わらぬ日常が戻ったのか、明確にはわかりません。
でも、知らぬ間に、いぜんと同じような心持には慣れていたような気がします。
きっと、気持ちの上では1年はかかっていなかったのではないかなと。
もちろん、あの道はまだ通れないとか、あそこには行けないとか、そういった制限はしばらくありましたけども、気持ちがおちついてくると、見える状況というのも少し違って見えたのかなとか思ったりも致します。
もちろん、個人個人で、被害の受け方というのも程度に大きな差はありますし、失ったものもことなりますから、一概には言えません。
でも、こういった状況が続いているということを一人でも多くの方が認識して、一人でも多く、出来ることで協力していく..そんなことができればと願います。
蔵口屋さん、お米屋さんです。
能登のおいしいお塩とかも販売されているようです。
そして、鶴瓶さんは、朝市の場所へ向かい歩きます。
途中、小山良枝さんと立ち話。
もともと関西にお住まいで2年前からこちらにお住まい。
「地震にあったけど、でも、こっちの方がよかったかなとおもう」とおっしゃられます。
この状況でしたら、引っ越したばかりでこの状況とは..とか思われる方もいらっしゃるとは思うのですが、鶴瓶さんの「なんでですか?」の問いに、「こちらの方は、自身になってすぐにおもちとか、野菜とかくれるんです」と。
とっても情が深いお土地柄で、自分自身も大変な状況にもかかわらず、「これ食べなさい」と、食糧をわけてくださる。
そんなお心持がとっても小山さんの心に響いたようです。
「いいひといっぱいだし、食べ物はあいかわらずおいしいし」こんなんになったけど、いいとこなんです..と。
小山さんの伝えたいこと、紙にわかりやすく書いてきてくださいました。
マリンタウン子供の広場 子供の遊具をなおしたい!ぺしゃんこになったトランポリンが早く直ってくれたらうれしいと訴えておられました。
鶴瓶さん、朝市の場所を確かめるのに中浦さんと立ち話。
当時の火事の状況を聞かれています。そんなはなしをしながら、「えがらまんじゅう」なるものの存在を聞きつけます。
そのまま中浦さんにたべさせて..と。
そのままお宅へうかがいます。えがらまんじゅうというのは、餅菓子の一種で、くちなしで黄色く色づけしたもち米でこしあんが包まれたもののようです。
輪島マリンで日本一周中のカメラマンさん岩沢さんに遭遇です。
今はボランティアでここにとどまっていらっしゃるようです。
福島から来られているんだそうです。ご自身も福島で震災にあわれ、そのご経験もあり、ここでボランティアという形で縁がつながっているといわれます。
隣にあるおむすび屋さんで撮影したり、情報発信をされているとのこと。
そのおむすび屋さんの「結び人」に会いに行く鶴瓶さん。
大阪から来られている麻佳さん。「おにぎり隊?」「そうおむすびしてます」多い時には10名くらいのボランティアさんがきてくれていたそうです。
見ず知らずのひとが、その場所でしりあっていく。ついさっきまで知らない人ときずなが結ばれることで、ほんとに心強い思いをされたと。
輪島市立七浦(しつら)公民館で升本庄五郎さんと
金谷さんってパーマ屋さんの存在を確認します。
まれのモデルとなったパーマ屋さんなんだそうです。
こちら公民館は物資の配給お手配だとかでお忙しくしていらっしゃったようですが、いまでは、それは終了されたようです。
公民館を出たところから海が臨めるんですけども、ここにも遠くなってしまった海岸線が、目の前に広がります。
きっと、ここにお住いの方々にとってはさみしい思いとなる光景なのかなと思います。
公民館から金谷さんのパーマ屋さんまで200mほど。
金谷イクエさんを訪ねました。
まれの思い出のロケ地です。
思い出のパーマ屋さんの中へ。
それをもとにセットが作成されたそうなんです。
いまも、地元の方のために、ヘアメイクをして差し上げられているそうです。
早く、周りに人がもどってくるといいですね。
つづいて、9年前におとずれた理髪店、宮前さんのお宅へ。常盤貴子さんの9年前の訪問をとても誇らしくおもっていらっしゃったのですね。
玄関はいると、その時のお写真が飾ってあります。
宮前さん、震災当日は東京にいらして、しばらくたって戻ってこられたそうなんですけども、戻られたときには相当なショックを受けられたそうです。
宮前さんも、海の変わりように触れられます。きっと、皆さんにとってとても大切な思い出の海だったのに違いありません。
でも、「人生笑ってなきゃね」といわれます。ほんとにそうですよね。
鶴瓶の家族に乾杯 輪島市門前町ロケ 2007年震災復興を支えた門前高校ソフトボール部監督を探してのまとめ
- 2015年3月放送の鶴瓶の家族に乾杯 輪島市門前町ロケは大本山總持寺祖院さん、持寺珈琲さん、門前高校女子ソフトボール部、室谷先生ご自宅などでした。
- 「私たちの時代」は2007年に能登半島を襲った地震直後、現地を励ます光となった門前高校ソフトボール部の皆さんをドキュメンタリーとしてテレビ放映、その後映画化され、その音声映像は、今も能登の皆さんを勇気づけるそんな映像ではないかと思いました
おそらく、番組にご縁があり、そこで何かをお話になられたり、発信なされようとされた方、皆さんに今の能登を何とか復活させたいという思いがあって、語られたのだと思います。できる限りもれなく、ここにお言葉なり、思いを記させていただこうと思い書かせていただいたのですが、拾いきれていないお言葉とか、出会いとかございましたら、誠に申し訳ありません。
最後になりますが、これからも、能登の皆様に一日も早く以前の日常が戻ってきますように、心よりお祈り申し上げます。
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